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家族の在宅看護は有りか無しか?難病の父を在宅看護した我が家の実情と今思うこと。

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私の父は約1年半の在宅看護を経て、現在は療養型の病院に入院しています。

一口に「在宅看護」と言っても、それを決断するまでの日々は、悩みと戸惑いの連続でした。
それでも、いざ在宅看護をしてみると、やる前にはわからなかった小さな幸せもたくさんあったんです。

おそらく今、同じような状況で悩んでいる方は多くいらっしゃると思います。
そんなあなたのお役に少しでも立てるよう、私の経験談をご紹介します。

内容は重めですが、そんなに悲壮感漂う話ではありませんからのでご安心を^^

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父の発病、病名がわかるまでの長い日々

私の父は、退職後数年したころから身体中のあちこちに疼痛(痛み)を感じ始めました。内科、脳神経外科、心療内科、整形外科、考えられる限りの検査をしましたが、原因がわからないまま約10年。

時には「痛い、痛い、って大げさなんじゃね?」と父が騒いでいるだけかと思ったりしました。
でも少しずつ身体がいうことをきかなくなり、車いす生活になっちゃって。

父、疑ってごめんよ…。

 

ようやく診断がついたのは、「進行性核上性麻痺」という10万人に数人という難病。パーキンソン病に似たような症状で、身体能力の衰えとともに徐々に認知症も進んでいきました。

と、ここまで読んでいただくと、やっぱり暗い話か、と思われたかもしれません。実はそんなこともないんですよ!

病名が判明して、原因がわからなかったころと比べると、家族の精神状態はすこぶるよくなりました。なんだかよくわからないものに押しつぶされそうになっていたんですよね。

病名がわかるって、本当に大事なことなんです。

病院から在宅へ。家族の決断。

診断がついた頃、父はもはや寝たきり状態になっていました。病院にいても画期的な治療法もなく、簡単に言えば、いかに穏やかな最期を迎えさせてあげるか、そういう段階でした。

父は「家に帰りたい」(認知症でもこういうところははっきり意思表示する都合のいい父。笑。)、
母も「連れて帰りたい」(マジか?大変だぞ?の言葉をぐっと飲みこむ私)、
二人の意志のもと、在宅看護をするための準備に入りました。

母の性格に救われる

私の母は明るい人です。
父が認知症からくるせん妄(見えないものが見えちゃったりします)で、「部屋の中を馬が走り回る!」と言えば、「あら、私は走る馬を見たことがないわ、お父さん羨ましいわね」と言える人です。

父が「小さな虫がたくさんいる」といえば、「大丈夫!お父さんに悪さしない可愛い虫よ!」と言える人です。

「こんなことを言い出した、どうしよう」「こんなことが大変!」と悩むより、「今日はこんな面白いことを言ったわよ」「こんなことがあったわよ」と私に楽しそうに教えてくれる母。

そんな母の性格に、家族中が救われました。

母、すげぇ~!

家族で出した決断いろいろ

父を家に連れて帰るにあたっては、いくつか決断しなければならないことがありました。

まず1つは、口から食事ができないため(これは誤嚥性肺炎になると命が危険だからです)、どうやって栄養を補給するか?です。

我が家は、「中心静脈栄養」という、高カロリーの点滴で栄養を取る方法を選択しました。
その他には、鼻にチューブを入れる「経管栄養」、胃に直接栄養を入れる「胃漏(いろう)」と方法があるようですが、それは選択しませんでした。

それからもう1つ、飲み込む力がなくなってきていたため、ゴックンができない父。
痰を飲み込むことも、ペッと吐き出すこともできないので、のどを切開して管を入れて吸引するかどうか?です。

管を入れると機械が全部やってくれるので家族は楽ですが、もう話すことはできなくなります。
結果、管は入れずに、機械を使って私たちが口からその都度吸引する方法を選択しました。

母が「お父さんの面白い話(せん妄のことです)聞けなくなるの寂しいもんね」と言ったから。
やっぱり母、すげぇ~!

在宅看護に向けて「チーム父」結成!

在宅看護に必要なのは、訪問診療をしてくれるお医者様と、訪問看護師の方、薬局の薬剤師さん、そういう方々と病院とそして家族をつなぐケアマネージャーさんの存在です。

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父の在宅看護にかかわるスタッフの打ち合わせに10数人の方々が集まった時、「なんだこれは?大プロジェクトじゃないか!」と驚きました。
「チーム父」の結成です!父はそういうたくさんの方々のお力添えのもと、自分の家へと帰ってくることができました!

ありがたや。

母は相変わらずで、「父の面倒を見るのが大変じゃないか」と聞けば、ご飯の支度もしなくていいし(だって食べないから)、認知症で徘徊することもないし(だって動けないから)、楽なもんよ!と笑い飛ばします。

母、凄すぎ(笑)

チーム父に感謝の日々

私の父は幸せな人だと思います。訪問診療をしてくれるお医者様がいないとか、そもそも在宅看護の体制が整っていない地域とか、自分の家に帰りたくても帰れない方は多くいると思います。

我が家の場合、父に関わったスタッフさんたちが、本当に献身的に看護してくださいました。
お医者様は、父だけでなく母の体調も気にかけ、「疲れていないですか?しんどくなったら、少しの間お父さんに入院してもらって休みましょうね」と病院をまるでホテル代わり?な発言をしてくださいました。

訪問看護師の皆さんは、24時間365日、電話をするといつでもすぐに駆け付けてくださいます。
もっとも母は、「看護師さんも子供さんいるから~」と、21時以降は自主的に電話回線を切ってましたが。

 

薬局の薬剤師さんが薬を届けに来てくれると、丁寧に母に説明と指導をして、「お父さん!この薬で楽になるからね!」と声をかけてくださいます。
母は、もはや、熱が出ればこの薬を何時間おきに何個、痛みが出たらこの薬をこのくらい飲ませる、と10数種類の薬を自由自在に操る「プチ薬剤師」状態。

たったひとりにもこんなに手がかかる在宅看護は、スタッフさんたちの存在が家族の支えそのものでした。

本当に感謝、ただただ感謝!です。

父の現在。我が家のこれから。

最初に話した通り、父は今、在宅ではなく療養型の病院に入院しています。
容態が悪くなり、在宅看護は限界とのお医者様の判断でそうなりました。

在宅看護を始めた時、父を自宅で看取るつもりでしたが、いざそんな日が近いのではないかとなった時に、母が急に「怖い」と言い始めたからです。
そりゃ怖いよな~。

朝起きてみたら…なんて考えちゃったら、ね。(実際はそこからもう1年半も生きています!)

 

父が家にいた約1年半の間、お医者様は私たちに何度も「気持ちは変わるものです」「変わって当たり前です」「いつでも言ってくださいね」と言っていました。そう言っていただけたのは大きかったな。気持ちがすごく楽になりました。

現在、母はできるだけ父の病院に面会に出かけています。それ以外は一人の時間を楽しんでいるようです。

母が好きなSMAPのDVDをプレゼントしたら、朝から夜まで観ているようですよ。さすがにその変わりようはどうかと思いますが。笑。

例え父にどんなに尽くしたとしても、これでよかったとは絶対に満足しないと思います。「もっとこうしてあげればよかった」「ああしてあげられた」と後悔は残るでしょう。

けれど、母には自宅で一緒に過ごした父との濃い1年半があって、「精一杯頑張った自分」という心の拠り所ができたんでしょうね。
それは、この先母が生きていくための、父からの最後のプレゼントなのかもしれないな~と思ったりしています。

母は、「あの時在宅にこだわっていたら、今頃とうにお父さん逝っちゃってたね」と言います。

本当にそうだよな~。気持ち変わってよかった…。

まとめ

「中心静脈栄養」は平均余命8か月、と言われているようです。でも、父はもうすぐ3年になります。びっくりするくらい、穏やかな日々を送っています。父の生命力に脱帽です…。

私も、もう十分覚悟をする時間があって、いつその時が来ても、頑張ったねお父さん!と言える気がします。

私の経験が在宅看護のすべてではありません。それでも私の経験の中に、在宅看護をするかどうか悩んでいる方へのヒントがあれば嬉しいです。

本当にそうしたいと思うのならば、諦めないでくださいね。でも気持ちは変わるもの。

決して無理はしないこと。それが、家族が笑顔でいられる在宅看護だと、私は思います。

 

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この記事を書いた人

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ただネットの情報を集めただけの、本当かどうかわからない記事ではなくて、リアルな情報をお届けしたいと思っています。

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